マシマ・アキコの一口メモ    ―「国際平和デー」と、ひとりの日本人の功績―    国連本部の正門玄間脇に佇む『平和の鐘』(The Peace Bell)

 

 『平和の鐘』写真撮影 真島明子
 (国連内部から)

 10月24日は、国連の日『Day of the United Nations』。1945年に国際連合が、創設された事を祝って、制定された。この日は、国際連合本部ビルの中で、お祝いのパーティーが催され、NYに滞在する各国のVIPやお歴々が集う日。私も、本部で、仕事をしていた3年間は、毎年、このパーティーに参加し、普段は、お会いできないような御重鎮と身近に接する事ができ、大変、貴重な体験だった。

   そのひと月前の9月21日は、これも国連が制定した『国際平和デー』。この日は、国連でも大変特別な日で、必ず、国連トップの国連事務総長が、さる日本人が、心からの願いをこめて、鋳造し、日本政府を通じて、国連に寄贈した『平和の鐘』を鳴らす日。この『国際平和デー』に鐘が鳴らなかったのは、2001年の9.11事件の時のみと言う。

国際平和デーセレモニー

   この鐘は、日本が、80番目の加盟国として国連に加盟した1956年の2年前に、国連にすでに寄贈されていた。そして、今日に至るまで、国連正面玄関脇の一番人目に付く場所に、佇んでいる。

   私は、長らく、この美しい平和の鐘は、日本政府が、日本国の国連加盟を記念して、国連に寄贈したものと思っていた。私が、勤務していた折も、新しく加盟する国は、記念品を国連に寄贈していたものだから。

   が、さるきっかけで、この平和の鐘が、ひとりの日本人の強い意志で、鋳造されたことを知る。多分、この背景を知らない方が、多いのではないかと思い、今回ブログに記す事にした。何しろ、私費を投じて、60ヶ国の方々から、協力を仰いで、各国のコインで完成させた平和の鐘。その方の事は、ネットに、―『国連平和の鐘』、初一念を貫いた無名の人、中川千代治―と記載されているくらいなのだから。子供から、大人まで、機内で、出会ったスチュワーデスさんから、当時、西ベルリンに駐留していたソ連将校まで。中川さんの平和への熱意に動かされた方々が、気持ちを託した各国のコインで鋳造されたものだった。

United Nations Street Sign