― マシマ・アキコの一口メモ - ~エピローグは、次の章の始まり~ 『2001年完成:新潟サッカースタジアム:ビッグ・スワン建設記録』から『2019年10月“絵草子”発刊』までの軌跡。両冊子の英語翻訳・校正担当:弊社(真島 明子 & Jane Norman)

 2002年のWCサッカー日韓共催時、日本では、国内の10都市が、開催地として選ばれた。候補に挙がっていた15都市の内、最後の枠は、『名古屋 対 新潟』の争いだった。最後の選考会に臨んだ、新潟サッカー協会の理事長は、後日、真島に次のように語っていた。「『名古屋 対 新潟』の決戦だったので、選考会に臨む行きの新幹線の中で、“名古屋が、相手じゃ絶対勝ち目はないだろうな”、とかなり落ち込んでいた。」と。その選考時、新潟には、Jリーグのクラブさえ無いような状態だった。しかし、「日本海側唯一の開催地(札幌市を除く)」のアッピールが功を奏して、名古屋に競り勝った!!で、帰りの新幹線では、「どうしよう、勝ってしまった。まともなサッカースタジアムも無いのに。大丈夫だろうか、という心配で、気持ちが、塞いでいた』と述懐しておられた。 何しろ、その当時、新潟には二巡目の国体に向け、3万人規模のスタジアム建設の予定しかなかったのだから。 WC仕様にするには、4万人以上のスタジマムが必要だったのだ。

              建築工事所長  松山雄二氏 ↑  

  斯くして『ビッグ・スワン』建設の機運が、盛り上がっていった。WCサッカーの開催地になれば、世界のマスコミが、注目する。日本の一、地方都市が、一躍、全世界に名前が、知れ渡る機会になるのだからーこれは、新潟で、サッカーのクラブ・チームを創設しようという経済会、政界の方々に対しての説得を試みる講演会で、ヴェルディ川崎のヘッドコーチをされていたフランツ・ファン・バルコム氏*の説得的、講演内容だった。かなり、あちこちで講演してまわり、真島は、その都度、通訳を務めていた。

【*フランツ・ファン・バルコム氏略歴:オランダ生まれ。日本のクラブ史上、初の外国人監督として来日。世界各国のサッカー・クラブ・チームの指導者として活躍し、1993年には、Jリーグ元年のヴェルディ川崎のヘッドコーチとして、初代王者になったチームを支えた。その後、アルビレオ新潟(アルビレックス新潟の前身)の初代監督も務めた。】

    “1997年11月新潟スタジアム起工式~2001年3月竣工”

この折、松山雄二さんが、新潟スタジアム建設工事所長を務めておられた。

  彼の采配の元、“飛翔、ビッグ・スワン 新潟スタジアム建設の記”(128ページに及ぶ。DVD付き)が、日英両国語で発刊された。この時、英語翻訳を請け負ったのが、弊社で、真島とパリ在住のイギリス人翻訳家、Jane Normanがチームになって翻訳に当たった。

  そして、2019年10月、松山さんのお姉様で、35年間に渡り、近畿日本鉄道の専属、グラフィックデザイナーとして沿線に飾る多くのポスターを手掛けてきた松山キヨエさんの絵草子(Art book)が、日英両国語で、発刊の運びとなった。

  ビッグ・スワンからの縁で、キヨエさんの水彩画集も、真島とJane Normanで対応させていただいた。

  ご覧いただくとおわかりになると思うが、大変特異な絵草子である。

  日本の古都、奈良を舞台に、神社、仏閣の写真や、絵というものは、沢山あると思われるが、キヨエさんのテーマは、神社、仏閣にまつわる四季折々の祭り、風習が、テーマになっており、とりわけ、仏様の顔、また、それに見入る人々の表情が、実に、生き生きと描かれている。そして、キヨエさんのお人柄が、それらの人物の表情、仏像の表情に表れていて、ほのぼのとさせられる彼女の心象風景といったものになっている。

  新潟出身の芥川賞作家、新井 満さんの作曲、訳詩(原作英語)の『千の風になって』~お墓の前で、泣かないでください。そこに私はいません~千の風になって~。この詩と、風という漢字をモチーフにしたキヨエさん独特の墨絵も載っている。様々な漢字も、アートになっている。

  百聞は、一見にしかず。是非、ご覧いただきたい画集である。

  入手先は、花文化研究所 大地の庭 

http://www.hanabunka-daichinoniwa.jp

    ↑  ただいま、作成中のようです。もうしばらくすると、本篇がアップされると思います。