マシマ・アキコの一口メモ―  お月さまと通訳とアポロ17号

 通訳をしていると、普段、お会いする事のないような方々と接する機会に恵まれます。

 今回は、アメリカの宇宙開発計画、アポロ17号の宇宙飛行士であられたロナルド (ロン)・エバンス氏の通訳を真島が担当した件に、言及致します。

 因みに、アポロ17号はアポロ計画最後のロケットで、搭乗した飛行士は、3名のみ。

 アメリカの宇宙探査計画が、アポロ計画として、大きく飛躍したのは、1960年代でした。

 アメリカ大統領、ジョン・F・ケネディは、1961年に、「我が国は、歴史始まって以来、初となる、月への有人飛行を1960年代の内に成功させる」と、宣言され、これが、アポロ計画の始まりです。

 試行錯誤の後、1969年7月20日、アポロ11号によって、人類初の月への着陸を果たしました。月から帰還した様子は、衛星を通じて、全世界に発信され、テレビの衛星中継では、鳥飼久美子さんと西山千さんの2名が、同時通訳者として、淀みない通訳を果たし、この時、日本人の多くは、初めて、同時通訳というものを目の当たりにしました。月面着陸は、もちろんの事、お二人の巧みな同時通訳に、接した日本人の多くが、驚きをもって、テレビ画面に見入っていたものです。私もその一人でした。 

 莫大な開発費が必要なアポロ計画は、予算の関係で、17号で、終わりとなりました。そのアポロ計画の最後の宇宙飛行士、ロン・エバンス氏が、有る計画の為に、新潟を訪れ、新潟県知事を表敬訪問されました。当時、新潟県知事の公式行事通訳を真島は専門に請け負っておりましたので、そのお陰で、エバンス氏にも、お目にかかる機会に恵まれました。

 

 下記の写真は、エバンス氏からいただいた御礼の色紙と、彼が月から撮った地球の写真です。

 ある計画は、結局、バブル経済が、はじけて、日の目を見るに至りませんでしたが、その計画は、子供達が、遊びながら、自然と、科学になじみ、興味を持てるような、サイエンス・パークを新潟に建造できないか、というものでした。その計画の提案者は、何度も、NASAに足を運び、NASAから不要になったロケットをパーク内に設置する。ロケットは、市内の至る所から、見え、ランドマークとなるように、配置する、等、様々なアイデアを県に提案しておられました。

 

 私は、単に通訳として侍っていますので、私見を述べる等は、極力さけておりますが、県知事とエバンス氏の話合いが、終わった頃合いをみて、一つ質問させていただいて宜しいいでしょうか?と職務を逸脱して、口をはさんでしまいました。質問は、「聞くところによると、月から、宇宙を見、地球を見る事で、何か、精神的に、大きすぎるインパクトを感じた飛行士さんが、いらっしゃるとか、伺っていますが、エバンス氏は、そのような心境に陥ったりはされませんでしたか?」と。エバンス氏の回答は、「私は、科学者ですので、精神的にショックを被ったりというような事は、全くありませんでしたよ。」とのご返答でした。

 

 私が、小・中学生で、有った頃、「月には、うさぎさんがいて、杵で餅を、ついているんだよ、というおとぎ話の世界」に生きていました。かぐや姫のお話しや、十五夜の月見とか、寓話としての夢が、月にはありました。でも、月に人間が、到達してからは、月には、うさぎさんが、いなくなりました。ただ、それ以降、月を眺める度に、私は、宇宙に存在しているのだ、という認識が、強くなります。住んでいる所が地球で良かった。今日も、足が、地についていて、良かった、と思うこの頃です。地球という惑星、大事にしたいですね。