―マシマ・アキコの一口メモー   『2020年、東京オリンピックと今井雄一さん!』 Knock the door and it will be opened unto you!  成せばなる、成さねば成らぬ何事も!今井さんにお会いして、そう思いました!

  このところ、真島が忙しい日々を送っており、Facebookの更新が延び延びになっていました。

  その間だ、先回触れた、北米園芸協会の日本庭園ツアーも無事終了。本日は、そのツアーでボランタリー通訳を務めてくださった、今井さんにスポットを充てさせていただきます!

  今から6年前、2013年9月8日、TVで、日本のオリンピック招致が決まった瞬間、テレビに見入っていた今井さんは、『オリンピックのボランティア通訳になろう』と決心されたそうです。翌年、2014年、3月31日に永年務めた職場を退職すると同時に、Mr.今井の英語レッスンが、始まった。

  今井さんの居住地は、南魚沼。その地には、それほど、英会話スクールがあるわけではない。結局、遠方まで、お金と時間をかけて通う事になる。そんな試みもされたようだが、費用対効果が、どうも、と言う事で、ネットで、スカイプレッスンのスクールを探す。ちょど、お試し期間中で、費用も安価。

  結局、数か所のスクールのひとつと契約して、現在もレッスンは、続いているとの事。脱落していった友人も多い。「皆さん、まじめすぎるので、疲れてしまう、みたいですね。僕みたいに、適当に。楽しみながら、事に向きあうのが、良いみたいです」と。しかし、行動力の人、今井さんは、ただスカイプをしているだけではなかった。毎年、数週間、国外の語学学校に留学。近くの国際大学の外国人との交流イベントに参加。そして、スカイプレッスンの学校が、募集した、スピーチコンテストに応募。予選にパスし、本選は、東京、六本木に出向く事になる。

  まるでテレビドラマをみているようだが、出向いた先は、六本木だけではない、これが、縁で、今井さんはリトアニアに出向いて、日本庭園の講義をする事になる。元々は、理工系の仕事をされていた今井さん。何故、日本庭園に?

  そして、今井雄一さんのもう一つの顔は、スキーのインストラクター。今井さんが、退職後に加盟し、新潟県南魚沼市と湯沢町で展開しているスキー・スクールには、30名のスキー・インストラクターが。全員外国人で、今井さんが、唯一の日本人。生徒さんは、皆、外国人!

   へ~、そんなスキー・スクールが新潟県にあったのか。でも、一年中雪が有るわけでは無い魚沼地方。他の月日は何をされているのか、気になる所。スキーは、毎年、クリスマスシーズンから、年末と、中国の旧正月の時期、つまり2月の初めから、下旬にかけて。“その他は何をされているのですか?”の私の問いに、今井さんは、「4月から、11月一杯は、晴耕雨読の日々、と庭造り」との事。

  「庭造りは、無になれるから、楽しい」と。“どうして、庭を作っていると無になれるのですか?”との問いに、「一つの事に集中していると無の境地になるのですよ」と。

  ふ~ん、なんだか、仙人にお会いしたような気分。でも、今井さんは、目的を定めるとひたすら一所懸命に邁進して、目的を極める方のようだ。行動力が、すごい。

  即決、即行の人。今井さんのリトアニア紀行は、今井さんご自身が、『にいがた庭園文化交流協会 会報』(2019年Vol.4)に載せた下記、寄稿文を是非、お読みください!!

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  Niigata Garden Cultural Exchange Association  2019 Vol.4

                                         会員:今井雄一氏 寄稿文

  瓢箪から駒とでもいうべきでしょうか?造園家でもない、ただの日本庭園愛好家にすぎない私が、遥か彼方のリトアニアで、日本庭園のプレゼンテーションを英語で行うことになるなんて。それは、英語の練習にと、5か国語を駆使するリトアニア人の美女とのテレビ電話を通じた会話から、始まった。スカイプが取り持つ縁で、その彼女に自己紹介。「私は、30年も前から、自宅に日本庭園を造り続けているが、インスピレーションとパースピレーション(汗)を形にできる庭仕事が、たまらなく好き。」と。それに対し、彼女は、「リトアニアには、庭を始め、日本文化に興味を持つ人がたくさんいる」と。

↓リトアニアの中心地、トラカイにある湖上に浮かぶ、おとぎの国のような島城

  私は、5年前に、退職してから、オリンピック通訳を目指して、英会話のトレーニングをやっている身でしたが、丁度その頃、六本木で、行われるスピーチコンテストを目指して、パワーポイントを使ったプレゼンテーションのトレーニングを始めたばかりでした。そんな折でしたので、彼女に「私に何かできる事が、あるか」と尋ねたところ、「日本文化を伝えて欲しい」という。で早速リトアニアに行ってみる事にしました(えっ、今井さん!!大丈夫ですか??そんなに簡単に決めちゃって・・・影の声!でもきっと即決即断のこの今井さんの行動力が、彼の人生を末広がりにしてきてくれたのでしょうね。)

  プレゼンは、リトアニアで、昨年(2018年)8月26日に行われました。プレゼンのわずか、5日前に、セミナーの募集を開始したにもかかわらず、200人以上の方々から、問い合わせが有り、結局、25名の方々に参加いただきました。

↓リトアニアのセミナー室で、今井氏が、御紹介を受けている所。

  驚いた事に、私のプレゼンが始まる前の雑談の中で、”empty”とか、“nothing”,すなわち、「無になれる」という、日本庭園の真髄に迫るような言葉が、彼らの口から出てきたことです。私の拙い英語のプレゼンを最後まで、真剣なまなざしで、見つめ、聞いてくれました。

  その後、外の庭で、ワークショップを行いましたが、室内外にて、質問攻めに会いました。

  

  翌日には、リトアニア盆栽協会会長宅に招かれる。この方は、日本庭園に造詣が深く、日本文化の普及・継承に尽くされた功績を日本政府から認められ、叙勲まで、された方!

  会長のお話しを伺うに、会長のご両親は、シベリアに長く抑留され(御本人もご一緒に)、漸く帰った母国での生活もままならないうちに、今度は、会長ご自身が、戦争の為に、アフガニスタンへの出兵を余儀なくされ、いたく傷ついて、帰国した彼の心を癒してくれたのが、ふと見かけた壁掛けの日本庭園の写真だったそうです。それ以来、日本庭園と盆栽に心血を注ぐようになったとの事でした。

↓会長のご自宅の写真。

  日本人には、あまりなじみの無い、リトアニアの方々が、何故に、このように、親日的であるのか考えてみると、かつて、日本の外交官であった、杉原千畝と言う方が、当時ナチス・ドイツの迫害から逃れるユダヤ人の為、日本国の命令に背いてまでも発行した日本への通過ビザ2000通余は、子供を含め、リトアニアで、6000人以上の人の命を救った(後に、“命のビザ”と称される)という。緊迫した国際情勢の中で、彼の人類愛にあふれる行動は、今も、リトアニアで、称えられ語り継がれています。このような偉大な日本人のお蔭で、日本人で、ある事に誇りが持て、また、人々の心を癒す、日本庭園に自分が、今日まで係る事ができ、本当に幸せに思っています。

↓杉原氏の英断で、発行された、ビザ

  そして新たな発見は、リトアニア・リネン。9,000 kmも離れた異国で、南魚沼の特産品である“塩沢つむぎ”と同じような麻織物が、この地で、栄えた不思議。様々な感慨を深くして、帰国しました。

  これからも、平和や、国際親善に繋がる素晴らしい日本文化を継承し、自信と誇りをもって、普及させていきたいと思っています。(私のスカイプ・マラソンもこの5月末で、1100時間目に到達!!何事も一歩から。Step by step. 頑張って行きます!!)

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